国際平和支援法第13条及び第14条に、一般国民をも家畜のように戦場に駆り立てることを正当化する内容が含まれていることの詳細について
(訴状引用)
事件名 「安倍らによる国民家畜視被害国家賠償請求事件」
提起日 2015年(平成27年)12月17日
管轄裁判所 横浜地方裁判所
事件番号 平成27年(ワ)第5007号
(東京地裁へ移送後は、東京地裁平成28年(ワ)第846号)
種類 国家賠償請求訴訟(注意・請求の趣旨は賠償金ではなく、戦闘法の効力遮断)
原告 平元巌、平元百合子
被告 国 代表者 法務大臣 岩城光英
実行犯 安倍晋三、麻生太郎、中谷元、高村正彦、外多数
以下、訴状の「第2請求の原因 3.及び4.」を引用
(訴状の「戦闘法」は、「戦争法」(安保法制)の意)
3. ヘドロ埋め
戦闘法案は国会にて多少議論されたものの、同法案に関して、国民に確実な情報が提供されなかったことは、異常状態として位置づけられなければならない。そして、国民が戦闘法の条文を本年9月19日の朝刊、つまり、同日未明に戦闘法案が強行採決された後に初めて読むことができたこと、しかし、皮肉なことに採決後であったにも拘わらず、いまだ「案」のみの条文を提供されたことは、さらなる異常状態として位置づけられなければならない。さらに、政界そのものが、及び、全ての報道機関、そしてまた大学教授や日本弁護士連合会までもが、戦闘法にある、今述べる3重の鍵の問題視はおろか、言及すらしなかったことは、想像をはるかに超えた異常状態として歴史に刻まれなければならない。しかしこれはきっと、安倍晋三自身による直接の脅しがあったためのことであるとしか考えることができない。
そして、実行犯らは、戦闘法の長文や内容の量、またその不明確さにより、戦闘法の肝心な詳細に関する専門家や識者そして国民の理解を妨げることに成功した。
原告らは、戦闘法に埋められた肝心なヘドロ内容を国際平和支援法の13条から取り出すことができ、後述のとおり、同条に秘められた観点を摘示する。条文はこうである。「防衛大臣は、前章の規定による措置のみによっては対応措置を十分に実施することができないと認めるときは、関係行政機関の長の協力を得て、物品の譲渡若しくは貸付け又は役務の提供について国以外の者に協力を依頼することができる。」(13条1項)そして「政府は、前項の規定により協力を依頼された国以外の者に対し適正な対価を支払うとともに、その者が当該協力により損害を受けた場合には、その損失に関し、必要な財政上の措置を講ずるものとする。」(13条2項)。とりわけ、その3重の騙しの鍵に焦点を当てる。
一つ、「役務」
国際平和支援法には多くの箇所で「役務の提供」とある。この条文もまたそうであるが、「役務」とは、「労働などによるつとめ。」或いは「義務として労力を提供すること。」を意味する。しかし、条文に(役務の)「提供」とあることから、国際平和支援法13条にある「役務」が前者の「労働などによるつとめ」の意味で用いられていることが分かる。そして、この第13条においてこの文言を用いたことから、特にこの第13条において、実行犯らが、働き手や人の意を読み取ることのできる言葉を避け、人を指さない表現、つまり「つとめ等を提供すること」の意味合いを持つ言葉を用いることに重点を置いたことになる。
一つ、「国以外の者」
これは、非常に不自然な言い回しであり、この第13条の意味を見いだすことを妨げるものであるが、第3条(定義等)や他の箇所に「国以外の者」の意味することの説明書きがないことやとりわけ第13条2項の内容により、この「国以外の者」の言い回しが、公務員を除く一般国民を意味する言葉に他ならないことが明白である。
一つ、「依頼」
この第13条の枠から、「依頼」との言葉は矛盾である。そして、13条2項の「政府は、前項の規定により協力を依頼された国以外の者に対し適正な対価を支払う(中略)とする。」との文言から、依頼の意味が、「頼み」や「頼ること」ではなく、「命令」以外のなにものでもないことが明白である。
これはすなわち、周囲の枯葉やわらに隠されてこの第13条に、実に、なんと近代日本初の、公務員を除く一般国民一人ひとりに兵役の義務、つまり、外国にて他国と交戦すること、すなわち、傭兵の義務を課すことが主張されていることであり、諸国民の平和や、政府の行為により戦争の惨禍が起こることが二度とないこと、及び、自国民がそれらの恐怖を二度と経験することがないことを約束した憲法前文を地に踏みつける条文である。
ここで、本訴をとおして、この大問題が史上初めて、且つ、容赦なく全面的に打ち出されていることを強調する。
4.畜殺列づくり
直接な利害関係のない戦争に参加する雇い兵として認識されていた傭兵は、西洋史にみる、同国出身の一方が傭兵となったことにより敵対する事態となり、悲劇的な戦いを強いられた事例もあることから、18世紀末のフランス革命までに広く用いられていた傭兵の使用は、その後、徐々に禁じられるようになった。当時の傭兵制度は、遅かれ早かれ同胞を打ち殺すことになるその悲劇的な道を本当に歩むのかどうかを国民自らが選択することができたものであったなかで、国際的に禁じられるようになった。ところが、上述の国際平和支援法第13条にあるとおり、自民党政府実行犯らは、禁じられた傭兵にあった選択権すら残さずに、政府の命令により、つまり、昔よりもはるかに重苦なさらなる赤紙の流れをつくってしまった。さらに、第13条2項に(政府は<中略>国以外の者が協力により損失を受けた場合には)「その損失に関し、必要な財政上の措置を講ずるものとする。」と規定されているものの、その次条である第14条に「政府は、(中略)必要と認めるときは、事態対処活動に起因する損害についての当該外国及びその要員に対する我が国の請求権を放棄することを約することができる。」とあることから、政府間で請求権を「放棄する」と決めた場合に、もはや、個々の一般国民兵士の如何なる損失に関しても、財政上の措置や賠償等がないことは、実に想像に難くなく、はやくも、道端に座る片足などを失った近代的傷痍軍人の音色が響いてくる。これは、おそらく、夜の総理官邸でも聞こえてくるでしょう。
戦闘法に先駆けて強行採決された特定秘密保護法と戦闘法とを別物扱いした安倍内閣や報道機関とは対照的に、アメリカ政府が常にこの両法を切り離すことのできない法として位置づけてきたことは多くを物語っている。これは、2.において述べた観点、及び、特定秘密保護法の成立が、2007年(平成19年)8月10日に「秘密軍事情報の保護のための秘密保持の措置に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」(軍事情報包括保護協定・GSOMIA)に署名した当時の外務大臣(現在副総理兼財務大臣)麻生太郎によるアメリカに対する約束に基づくものであるとの観点からも分かる。
そして、メディア、政界、日本弁護士連合会の如何なる者も、この特定秘密保護法と戦闘法とが、いかに結ばれているかに焦点を当てることはなかった。では、なにゆえ、全体の枠である戦闘法、及び、実際の適応に不可欠である特定秘密保護法の採決の順序が逆になったのか。これは、決して偶然ではない。この問いに対する答えを見いだすためには、一方では、特定秘密保護法の中心に軍事情報秘密や国家情報の秘密が位置していること、つまり、それらが一般国民とさほど関連や接点のあるものではないこと、及び、特定秘密保護法の罰則対象者として報道機関が公務員のみを強調し、まるで、公務員以外の一般国民が処罰対象にはならないかのような報道を繰り返していたことを意識しなければならない。他方では、ちょうどこの特定秘密保護法が、戦闘法案の議論も存在自体も視野になかった段階で、つまり、戦闘法の先に強行採決されたことにより、一般国民に対する観点は少なく、条文の具体性も低いものであったため、当時の大学教授らによる著しい反対運動は実を結ばず、言論や研究の自由、また、知る権利等の抽象的観点に基づく非難に留まってしまい、一時期的なデモはあったものの、国民全体としての反対は非常に限られたものであった。
そして、後に採決された戦闘法においては、既述の3.にある観点からも分かるように、3重の鍵が用いられ、直接一般国民の生活や生命に係わるという国民を平和妄想から目覚めさせる観点や条文は、故意に隠蔽されてきた。このため、この戦闘法に関してもまた、国民の反対は「平和憲法」や「国民主権」などの抽象的な非難や主張にとどまり、学生などの芝居参加者も多くいたデモはあったものの、国民全体としての反対は非常に限られたものであった。つまり、国民がその胸騒ぎを十分に理解することができなかった要因が、両法律の議論や採決順序が逆であったことや他の多くの観点であったこと、及び、これにより、両法律が別物であるという、実行犯ら内閣にとり都合の良い印象が生じたこと、並びに、国民に対するこの印象の影響力が今日まで続いていることを強調しなければならない。
今、戦闘法に関するこれらの数多くのごまかしが取り除かれたことにより、浮き彫りとなった桁外れの問題を簡潔に述べることができる。そして、国民はこの警鐘に呼応する。
1.枠の意味としての戦闘法も、実際の適応の意味としての特定秘密保護法も、互いに切り離
すことのできない法、すなわち、表裏一体の法であること。
2.戦闘法が、過激的にも一般国民に対する国外における戦闘義務の観点を含んでいること。
3.公務員だけでなく一般国民も全面的に処罰対象である特定秘密保護法の存在により、例
え、アメリカが戦時国際法に反した兵器の使用、命令や戦闘を繰り広げたとしても、とり
わけ国外にてアメリカに参戦しなければならない自衛隊員並びに国民一人ひとりに、完全
な守秘義務が課せられること。
これこそ、アメリカが特定秘密保護法と戦闘法とを表裏一体の法としてのみ受け付けることの理由であり、これこそ、国民の人間性までをも絞殺する畜殺列づくりの流れである。
日本国民がこの第1、第2、第3にある分析と、その全体像を事前に把握していたならば、実行犯らがこの両法を決して採決することができなかったことは明々白々である。つまり、実に、実行犯らによる計画的な国民騙し、及び主権の生き埋め事件が起きてしまったのである。
しかし、奥深い観点は、泉一成・元自衛隊東部方面総監のご決意とその勇敢な行動である。すなわち、なんと自衛隊内にも広範にわたる反対が存在することが本月、世に知れたのである。それは、特定秘密保護法のみならず、戦闘法に対するものでもあり、国民を奮い立たせる泉氏の声は、国民を家畜視するこの流れに著しく抗議する、兆しである。
引用以上